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過去の古傷をえぐる覚悟で人間関係で本気で参ってた時期のことを書き記してあったのを読み返してみた。思ってたよりかはダメージが少なかった。
その時は「こんなので疑心暗鬼になる自分は心が狭い」とか「こんなふうに思う自分はだめなんだ」とか思ってたけど、読み返してたらところどころで「いややっぱりここはおかしいよな!?」と過去の自分と意気投合してしまった。
当時何度も自分の頭を疑って、冷静にならなきゃとその時の状況や気持ちを書き出して分析しようとしていたから、忘れてたことすらも思い出した。
我慢ならない状況を文字通り死にたくなるほど我慢して、どうでもいいとも思えずどうしていいかもわからずに、よく耐えたもんだよ。
結果うまくいかなかったけど、悩んで悩んで胃がちぎれそうになるくらい大事にしたい時間だったんだよね。
自分がおかしいのかもなんて悩んで変に気を使わずに、いやなものはいやだって感じてよかったんだよ。
当時はいやだって伝えるのにめちゃくちゃ遠回りして本当に自分で自分をズタボロにしてしまった。
私の場合、自分の気持ちを素直に言葉にしてしまうとキツい言い方になってしまうかもってものすごく言葉を選んでしまうのだけど、選びすぎて言いたいことがぼんやりしてしまうことが多いなと思う。
「それやだ」って言えばいいところを、「こんなこと言うのは心苦しいんだけど、私はこれはこうだと感じていて、だからちょっといやだなと思ってて…」みたいな。
書いててゲロ吐きそうになってくる。ちょっとじゃねえだろすごくとってもハイパーめちゃくちゃインフィニティいやだろ。
もし大事な友人がそんなふうに言って心をすり減らしてるのを見たら、間違いなく「いやならいやだって言っていいんだよ!!!!!!」って言うだろうに。
それなら言葉に気をつけるのはある程度だけにして言いたいことを言ってしまって、何を思われようがそれは相手次第だって考えるほうが自分の言葉に責任が持てる。
そういえばこの前過去の夢を見たときも「やだ」って言えてなかったな。
もちろん「やだ」って言っても変えられない状況もあるけど、言わなきゃ結局消化不良を起こしてしまうから。これからは夢の中ならなおさらやだを主張していくし、じたばたするし、なんなら暴れて街ひとつ壊滅させちゃお。
「やだ」って感情に限らず、もっと自分のそのままの感覚と言葉を信じてみようと思った。過去を思い返して凹むかと思いきや謎の学びを得てえらかったお勉強回。